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ちょっとしたお勉強
イタリア語の歴史
ラテン語から派生した俗語
イタリア語がラテン語から派生したということは確かです。
けれどそれはイタリアの学校で教えられるような
ラテン語ではなく、俗語(話し言葉)でした。
そしてそれは共和国の時代に、ローマの一般市民、
兵士や農民に話されているものに近かったのです。
実際、クラッシックなラテン語と、彼らが使っていた言葉とでは、ニュアンスの違いが見て取れることが多いんだとか。
イメージとしては、クラッシックなラテン語が「太っている」と言うのに対し話し言葉では「デブ」と
言うみたいなものでしょうか。
イタリア語の原型はどこから?
イタリア語の原型が文書として残っているのはいつ頃からでしょうか?公的なものとしては、960年の「カプアの証文」(Il Piaciuto Capuano)というのがそれにあたるようです。
全てイタリア語で書かれていたのではなく、ラテン語の文章の中に、話し言葉として少しのイタリア語が混ぜられるようにして登場したんだとか。
ですが、最古のイタリア語の記述は、コンモドゥスのカタコンベ(ローマのvia delle Sette Chieseにある)という、6~9世紀まで歴史を遡る壁に書かれています。
イタリア語を体系化したのはダンテ
話し言葉である俗語は、侵略者たちの言語(ロンバルド語やフランク語、ゴート語)などと混ざって派生し、そしてそれが発展してイタリア語になりました。その体系化に大きく貢献したのは『神曲』などで知られるダンテ・アリギエーリです。
彼は1303~1305年に彼の捧げた著作「De vulgari eloquentia」(俗語の話し方)を発表し、イタリア語を定義づけたとされています。
方言は大まかに3分類
イタリアでは多くの方言が話されていて、それは数を数えるのが難しいほど。便宜上、学者達はイタリアの方言を三つの地域ごとに分けました。ラ・スペツィア-リミニ線は北方と中部を分けており、ローマ-アンコーナ線が中部と南部を分けています。昔はイタリア人は方言を母語として話し、不完全な形で国語を獲得します。こう考えると難しいので、日本に置き換えてみましょう。例えば日本には関東弁と関西弁と東北弁がざっくり分けられているみたいなものでしょうか。そして、日本ではどの地域の人もしっかりと標準語を学びますが、昔のイタリアではそうではなく、自分の住んでいる地域の方言のままで、
イタリア語を習得するのです。
最も普及しているのはナポリ語で、話者数は570万人。続いてシチリア語が話者数470万人、ヴェーネト語が話者数380万人、ロンバルド語が話者数380万人、ピエモンテ語が話者数160万人となっています。
読み書きができない人がたくさんいた
1861年にイタリア王国ができた時、人口の80%の人はイタリア語で読み書きができませんでした。そして人口の約9%しか初等学校や高等学校に通っていませんでした。100年後の1961年には、読み書きができない人は5%にさらに2001年には2%まで減っています。
これは、イタリア語がどれほど難しいかわかりますし、
お金持ちの貴族だけが勉強をする事ができていました。
外国人にとってイタリア語とは
イタリア語の勉強は、
外国人にとってどのくらい難しいのでしょうか?
文法自体はかなり上級者向けで、簡単に覚えられるような言語ではない。特に不規則が大きな壁となります。
書いた文字と同じように読めばよく、単語のスペルと発音がよく似ています。発音はけっこうクリアで、トーンもわかりやすいため、単語や音を理解しやすいです。
言語自体のつくりも他のラテン語を
もととした言語とよく似ていますが、例外というものが多いため完璧に覚えることは非常に難しいとされています。
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