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​sicomoro

イタリア香川文化会館

イタリアのマルケ州のアスコリ・ピチェーノ出身の家族です。

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SICOMOROの誕生と出会い

「Sicomoro」。それは聖書に出てくる「いちぢく桑の木」です。

2002年、私と妻は、2人の子供、マッテオとエリザベッタを伴って、ここ日本の高松に来ました。

日本語や日本の文化・慣習をほとんど知らないまま、

本国、イタリアを出発したことから、来て当初は、大変苦労しました。

特に、公立の学校に入った子供たちは、すぐに皆さんから注目される存在となりましたが、

突然の環境の変化に驚き、ためらっただけでなく、悲しみ・悩むこともたくさん経験しました。

現在まで、子供たちが年を重ねながら、たくましく、強く成長してくれたことを、

妻とともに、大変うれしく思っています。

高松に来た当時は、在住外国人が少なく、まして、イタリア人はほとんど居ませんでした。

けれども、私たち家族と日本の人々との出会いの輪は、4人それぞれを通じて、

学校から、ご近所から…と、少しずつ広がっていきました。

そのような中、自宅で行っていたイタリア語レッスンや、

イタリア文化について語り合うお茶会のような小さな、人々の集まりができました。

それが、最初のSicomoroです。

それから、実に多くの日本の友人の助けのおかげで、

この小さなSicomoroは成長し、遂に2006年、高松で、自宅近くに、

イタリア香川文化会館Sicomoroを建てることとなります。

それは、私たちにとって大きな一歩であり、

より多くの方々との出会いが可能になった場所の実現でもありました。

この出会いの中で生まれた、人々との関係はさらに深いものとなって続き、

今のSicomoroを周りから強く支えてくれています。

私たちの家族

他にも多数のイタリア人や日本人が一緒に働いています。

Centro Cutlurale Italia Giappone "SICOMORO"

マウリツィオ maurizio

在日本イタリア香川文化会館 創立者・館長

​イタリア語教室 責任者

M. Matteo Gagliardi

マッテオ Matteo

在イタリア会館 館長

日本語・イタリア語教室 責任者

総領事館 宣誓翻訳者

Centro Cutlurale Italia Giappone "SICOMORO"

ブルネラ Brunella

レストラン・料理教室 責任者

​日本語・イタリア語 教師

Centro Cuturale Italia Giappone "SICOMORO"

エリサベッタ elisabetta

イタリア語・日本語 教師

SICOMOROの役割

今日までの間、香川県や高松市といった地方公共団体、NHK文化センター、高等学校・大学など、

さまざまな団体と協力し、多彩な活動をしてきました。

 

私たちは、常に人々との関係性を、宝物のように思い、大切に育ててきました。

さらに、イタリア領事館や在大阪イタリア文化会館とも連携し、

ミラノ万博に参加したり、数多くの文化的・芸術的なイベントや展示会、

フォーラムを開催し、活動の範囲はさらに広がりを見せつつあります。

こんなにも、たくさんのすばらしいことが現実になるなんて、誰が想像できたでしょう。

私たちでさえ、とても驚いています。

Sicomoroだからできたことです。

 

Sicomoroで行われた数々の活動や人々の交流…、

Sicomoroの成長は、そこに集う人々みんなの成長です。

イタリアを学ぶ体験を通して、知らなかったことに気づいたり、Sicomoroから何かを得る、

あるいは、Sicomoroに何かを残す…、それらは、自分自身の成長にもつながります。

在イタリア日本文化会館

日本でしっかり成長したSicomoroの木の根は、さらにイタリアへ伸びていきます。

そして、芽を出し、葉を付けていきます。

2020年、日本文化を広めるための第2のSicomoro、

「在イタリア日本文化会館」がインターネット上に誕生しました。

コロナ禍ではありますが、日本文化について学びたい、という人々に支えられ、成長しています。

私たちも、これから、どんな新しい木に成長し、実をつけるのか、とても楽しみにしています。

そして、日本の、イタリア香川文化会館Sicomoroのように、

もっともっと多くの人々が集まれるための場所を作ることを、まず第一の目標としています。

 

イタリア人も、本当の日本を知りたいと望んでいます。多くの日本人にとっても、そうであるように…。

ビデオ紹介(短)

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